memory lane


nas-memory lane


約10年ほど執着していた人から、もう執着しなくて良し!との恩赦を与えられる。


義務感やら責任感やら罪悪感やら劣等感やら使命感やらなんやらをごちゃまぜにずっと格好つけてきたのだけれど、春から夏にかけて続いた祖父の危篤と死が思いの外に効いた様で、精神的にきつくてお暇を頂く。
最終的には振られたのか振ったのかよくわからない格好に。
長い時間をかけて自分が振ってしまったというのが正しいのかも知れない。



仏に徹するには器が小さく、鬼に徹するには仄甘い。ただの人間。



詳細をどんな切り口で語ったところで、何かがドボドボときりなく出てきそうなので、読んだ人の立場によって同情か顰蹙のどちらかのみを買うだけだし、相手方を変に刺激したくないというのもあるし、そういうリリカルでない日記は書けないという自意識もあるし、「ただそうなったんだから仕方ないじゃないさ」という事実だけで控えたい。
今さら格好つけすぎか。


作品つくってる時は失敗したって「それもあり」なんだから、ねえ。
いちいち後悔なんてせずにそれも味にして作り続けてる。
割り切らずに割り切るという生き方もあるだろさ、と思うことにした。
悲観は気分であり楽観は意志である…それはまた違う次元の話なんだろうか。
色々と揺れ揉まれ複雑骨折しまくり、かつカラフルな20代だった。


自分の中の必要なものとそうでないものを浮き彫りにしたけりゃ、旅に限る。
普段使っている自分のロジックなど通用しない場所であればどこだって良いのだ。
そういう人間だろうがモノだろうがゴミだってなんであろうが、そういう出会いや事故がありさえすれば構わない。
惰性で生きることができない、頭での理解からはほど遠い場所や状況に身を置けば、体が自然と必要なものと重要なものを引き寄せてくれる。
少なくとも、自分と違いさえすればなんだって良いのだ。
自分探しじゃなくて自分捨て、なのだから。
今までもそうやってきたし、これからも死ぬまでそうだろう。
不安定や理不尽やこちらの理解を拒む状況の中にこそ、自分の渇望するなにかがある気がしてならない。


そんなわけで四国と関西へ遁走。
そういやあの人も大変な時期に瀬戸内海を見たんだったっけと気付いたら、時空を超えたシンクロ具合にドキっとしてしまった。
「お前もこの景色を見て思い知れ」といったとこだろう……。


とにかく、瀬戸内海は穏やかだった。
太陽だけは、俺だろうが人殺しだろうがウンコだろうが干からびたアジだろうがビヨンセだろうが北島三郎だろうが渋谷のイラン人だろうが愛子様だろうが、等しく光を注いでくれる。
贅沢な良い旅だった。