4分の1年も更新していなかった・・・

気が付けばこんなに時間が経っていた。
それなのにカウンターだけは結構な回転をしているのはどういう訳か。
ツイッターを始めてからというものの、エッセンス的なものはツイッターで、出がらしの茶葉はブログで、といった状態になってしまっている。
mixiのマイミクの方や、そうではない方も、できればツイッターのフォローをお願い致します。EGO_S54というアカウント名です。
こちらは最近の作品をUPするか、じっくり長い文章を書く時に使いたいと思います。(さっそく長い文章を書いたのだが消えてしまった・・・)
7月中旬にグループ展に参加させて頂くことになりました。
詳細が決まり次第こちらで報告させていただきます。

「未発表の絵と音」と私


「未発表の絵」と私


 誰も何も頼んでないのに、本能的にどんどんつくっていってしまう奴、私はやはりそういう奴を信じる。そして、そいつがいつもピーハツな笑みを浮かべ、ニヤッと敬礼のマネなんかされた日にゃ、私は黙って白旗を掲げよう、潔く。
 私はどんどんどんどん次の何かをつくり、そしてそれを自分で見、その瞬間自分の中でジュッと音を立てて起きる感覚に底知れぬ快感を覚える、という風でありつづけたい。そこにわかったような理屈をつけ、どんどんつくらなくなったら、それはもう私ではない。たとえどんなに他人にそしられようと、どんなに意味がないと言われようと、どんなに認められまいと、一点も売れなかろうと、私は笑顔でどんどんどんどん次の何かをつくる、私の見たいものを私のつくりたいようにつくる、そんな男に私はなりたい。私は寡作はかっこわるいと思う。多作はかっこいいとは決して言えないが、それでもかっこいい寡作よりは、ましだと私は信じている。
 どうしようもねえゴミにすらなれないものも、一瞬「オッ最高」と心の中で思ってしまうものも、そんなことはどうでもいいから、どんどんどんどんつくり、そして容赦なくそれを壊し、そしてまたどんどんどんどんつくる奴、私はそんな奴を無言で信じる。意味は何もないが信じられると私は思う。たとえそいつが薬で脳ミソボロボロでも、底ナシの女たらしであっても、約束は絶対破る奴でも、酒グセメッチャメチャ悪い奴でも、鼻もちならない奴でも、救いようのねえバカでも、私はそいつのこと大嫌いになるかもしれないが、どこかで絶対信じると思うのだ。
 誰にも何も頼まれないのに、どんどんどんどんつくる奴、そういう芸術家に私はなりたい。


大竹 伸朗

初出:エスクァイア 96年12月号  
所収:「既にそこにあるもの」



既にそこにあるもの (ちくま文庫)

既にそこにあるもの (ちくま文庫)


ほとんどお守り状態でかばんに入れてあるボロボロの「既にそこにあるもの」に収録された一篇のエッセイから。
文章の最後を「なりたい」で締めるという凄まじさ。
別にこれを肴に何かを語るつもりもないのだが、何度読んでも勇気というか希望のようなものが自分の中で強烈に芽生えるので、ここに紹介したかった。




で、レコードジャケットにごちゃごちゃと塗ったり貼ったり、なんやかやと作業をする毎日なのだが、ふと「いま自分がしていることはアートやデザインではなく、ただ誰も見たことがないレコードをつくりたいだけなのではないか?」という思いがデロリと漏れ出てきた。
その思いの方が、いまつくっている絵をアートの文脈に落とし込むための理屈よりも、遥かに本質的なのではないかという気がするが、いかがか。
そう考えると、どんどんどんどん思いは暴走し始める。
レコードのジャケットをつくるのであれば、中に入っているレコードにも当然塗ったり貼ったりしなければいけない。
それをただ並べて展示するだけで良いのだろうか。
知り合いの腕の立つDJズにかけさせたい。
それも4台くらいのターンテーブル上で。
BPMもくそもないミックスとスクラッチと針飛びで聞いた事のない音とそれで埋まる空間。
演歌、ジャズ、ロック、歌謡曲、ソウル、サウンドエフェクト、オーディオチェックの細切れになった音の粒がひと塊になる瞬間を注意深く待つ。
かけているレコードのジャケットを、ビデオとスクリーンに同期させて壁に映し出させる。
その映像を元にVJが即興で映像を作り出す。
誰も持ってないレコードで誰も聞いた事のない音、というか異国で偶然拾ってしまったラジオ電波のようなノイズと、誰も見たことのない映像。
何をつくっていたのかもわからない巨大な工場の廃墟で行われるパーティ。
……という訳で、自分が個展をやりたいやりたいと言いながら、だらだらとやらないままでいるのは、ほとんどこのような無茶なことばかりを妄想しては、「む」「り」「だ」「ろ」「な」という諦めが心の奥底に沈殿していくのを感じてしまい、そんなことを考えるくらいなら手を動かそうと、つくるしかない現実に戻る。
そして夜が明けなけりゃ良いのにな、と思う毎夜朝方。




赤い旋風温泉




しましまオバホルモン




想像力の下水管




伊勢海老の夢




二つの心と二つの二




配電板




怪獣売場




エクスタ富士




Looking For The Perfect Pieces




象印ヂャー・銀座トルコ・松戸ぢ




インチキ幾何学北斎とかデューラーとかに捧ぐ)




feat.道aka道画ファイルナビゲーター

頭文字J

そこに冷蔵庫はあった。


ツイッターでのJが最高だ。
「つぶやき」というトンチンカンな訳語を与えられたこのシステムで人々がテンション通常の三割増しな中、ただ一人、「祭り」に乗ることも、「奉られる」こともなく、年季の入った職人のように「つぶやき裏街道」まっしぐら、粛々と独りつぶやき続けるクールな男、J。
その内容は、あの巨体で自転車に乗り東京中を疾駆する様子から、冷蔵庫やトイレットペーパーの芯にまでいたる。
ハードボイルド小説と私小説のエッセンスが矛盾なくふんだんに振りかけられた、もはや詩としか言い様のないつぶやきから目が離せなくなってしまった。



その稀有なツイッ詩人の名は、杉作J太郎



個人的にいま一番面白いです、この人のツイット。
羽田空港で飛行機待ちの暇潰しナウアンドゼン(なうって…うーん、まいっか言っとけ、まいっか)。
こちらもJで某JALです。
札幌で行われる祖母の十三回忌へ行ってきます。
北海道、10年近く行ってないので寒さが想像つかない。
ヒートテックなんて全く意味ない気がする…。
ヒートテックのタイツは21世紀初頭を代表する発明だ」と、この間まで吹聴してましたが、撤回するかもしれません。

ではでは。

最近作接写照準甘々画像過多且巨大迷惑

McCOY TYNER / INNER VOICES

Inner Voices

Inner Voices

http://www.ticro.com/search/M00002929/no_sub/detail/
最近はこのアルバムの「FOR TOMORROW」という曲を繰り返し。
素晴らしい。
上記のリンクで視聴すべし。