ポケットに入ってたものをとりあえず机に広げてみた様な日記

オリンピックが東京じゃなくて胸を撫で下ろす。
台風も去って秋めいてくる。
この時期の夜になると、うちのトイレの個室外にある庇の下には雀が、パソコン部屋の庇の下には鳩が、毎年羽根を休めに来る。
家に帰ってきていずれかの部屋の扉を開けると、雀は「ピクゥッ」とし、鳩は「バタッ」と音を立ててはバレバレの身をジッと潜める。
そんな穏やかな秋に反抗的な態度をとるつもりもないが、悪友に誘われサーフィンを始めた。
週ごとに肌の色が黒くなっている。
家族をはじめ、職場の人間の驚く顔がおかしい。
「また黒くなった?」が挨拶代わりである。
やる前は作品製作の時間が削られちゃうなあ、と思っていたのだがどっこい。
休日に早起きして行くので、大して製作時間は変わっていない、どころか粘りが生まれた気がする。
しかも体力をすこぶる消費するのでつまらぬ邪念が湧かなくなって、それと同時に体力もついて妙に「ほがらか野郎」になっている。
あと、何が一番素敵かというと、「自分でどうにかしなきゃ下手したら死ぬぞ!」という緊張感。
自分の現状の体力と能力を時々刻々と変化する海の状況に照らし合わせて、どう動くべきかを瞬時に判断しなけりゃいけないというのが、実に面白い。
とまあ知った風に薀蓄ぶっこいてるが、いまだに「自称サーファー」と言えるレベルですら到底なく、せいぜい「パドラー(板に乗ってクロールする動作をパドリングと言う)」としか言えない有様だが。
そんなほがらかな秋にはホッコリと暖かくなる曲を聴きたくなる。
とても優しい気持ちになる大人守り歌。
しかしこんな日記誰が読んでいるのだろうか。
you-tubeに行かずに見られるアーカイブとしてしか使われてないのに。
全然更新ができない。
作品を作っていると、言語を司る脳のある部分が働かない気がする。










なんかサーフィンだとか音楽だとか、遊んでばかりと思われるのも癪なので。
「art_icle」というARTのフリーペーパーの8月号(古いトピック…)に、僕の作品を載せていただきました。

以前出展した「Young Artists Japan Vol.1」というイベントにて、ここに写っている作品を購入していただいた方がこの雑誌の寄稿者だったというご縁で。

以下、その記事を勝手に転載……しちゃっても良いのだろうか…。

今春アートフェア東京や101東京コンテンポラリーそしてデジタルハリウッド大学でギャラリータグボート主催の若手アーティストを取り扱ったフェアが行なわれたが、その週私が見た中で一番気に入った作品が渡部剛氏のものだった。渡部さんは古い雑誌を取っておき、記事の見出しをクリップで留め、コラージュを作る。見出しを見るとあらゆる思いが錯綜する。週刊雑誌や昔話、忘れ去られたアイドル、楽しかったこと、悲劇などは時とともに消え失せ、そのはかなさを見るにつけ郷愁の思いにひたる。「ロカビリーマダムの対決」。「日本の戦史」を「イキなシャンパンレディー」に並列して載せるという不釣合いさ。「ウワサと真相の間」には面白い物語が隠されているかもしれない。「親分やめて!」。「タイツでデート」には詩的なユーモアが載っているだろう。今年見た展示会の中で一番良かったのは世田谷美術館で開催された「日本の自画像 写真が描く戦後 1945-1964」。キュレーターはマークフューステルで、戦後の日本の写真を見ていると同氏の著書を思い出した。雑誌の見出しをもとに若手作家がコラージュした作品を日本の巨匠が撮った写真と比べるのはおかしなことかもしれないが、わたしには少なくとも彼らが過去に対する郷愁を抱きながら描くという点で同じだと思う。


むずむずする。



さて、10月31日と11月1日にまた同イベントの「Vol.2」に出展します。
http://www.tagboat.com/ngs/event/index.html
本当は今秋はイベント的な展示は一切やめて(GEISAIはスルー)、じっくりゆったりとどこかで好き放題な個展やろうかとも思っていたのですが……出展料の安さに負けました。
何ができるか全く先が見えませんが、興味があって暇な人は遊びに来てください。


それが終わったら、行こうと思いつつも「なんかアートを見るためだけに田舎に行くのってやだなあ」と伸ばし伸ばしにしていた直島に行こうかと。
良いついでが見つかった。
神戸ビエンナーレというのをやっているので、直島−神戸という旅程を検討している。
「神戸」といえばJJの読者モデルの典型の一つ…ではなく、人形町生まれの江戸っ子であった谷崎潤一郎が、関東大震災で壊滅状態になった東京が嫌になって移り住んだ土地でもあるし、硬質でオブジェ・宇宙嗜好な独特の文章を生んだ稲垣足穂の育ったところでもある。
あそこには何かがあるに違いないと、東京の田舎者は、かつての文化や政治の中心地であった関西圏の、特に神戸という土地に妙な期待を抱いている。