その男、不眠につき

大阪レポートはまだか。

参拝に訪れた人々に水を掛けられ続けていつしか苔に全身を覆われた仏様について書きたいのだが。
パソコンに向かうのにこんなに発奮を要するのもいかがかとも思うが、部屋の中で作品制作をしている時の興奮が途切れない。
どーも青いね、あいかーらず。

眠れないから、いいちこをコーラで割って、柿ピーと冷奴と焼き海苔をつまみに音楽を聞き、就寝前の一服をしながら携帯でこれを書いている。
放っておくといくらでもシャープになってしまうので、どっかでヌいとかないといけない。
「適当」の確保は生存に関わる一大事。
ラフでなんぼ。


先日、仕事の帰りに浅草寺に行く。
ちょうど一年前に凶を引き正月にも同じく凶を引いた因縁の場所である。
果たして今回は………


大吉だ、こらっ!なめんなよ、おいぃっっ!俺様を誰だと思ってやがる!!
俺だよ、俺!!
と、心の中で昨今流行りの詐欺師まがいの口調になってしまい恥ずかしくなる。

それを前後に某ギャラリーからグループ展の話(予定は未定。本当にやらせていただけるのでしょうか。やる気満々ですが…)やら、高校時代の友人からアメリカ西海岸でのキナ臭いお仕事?の話(ダイジョーブナンデショーカワタシノジンセイ)やら、ニューヨーク帰りの大学時代の先輩から「ニューヨークおもしれえぞー、来れば良いじゃん」と言われ頭の中が渡米で一杯になったり。
変な展開が今後多くなるだろうと思うと、ブルース・リーの有名すぎるあの言葉をリフレインしている自分に気づく。


この時期になると例年通り早めに部屋の整理を始めるのだが、棚から溢れたレコード、本をはじめ、作品素材や服やなんやらで足の踏み場もなく途方にくれる。
思い切って聞かないレコードを処分することから始める。
部屋にあったユニオンの段ボールに八箱(600枚くらい)詰めたものの、足の踏み場が生まれた程度でいまいちすっきりしなかった。
いま手掛けている作品…みたいなものの絵の具を乾燥させている間の手持ち無沙汰を解消、かつ実験めいたことをやるための丁度良い支持体がなかったので、段ボール箱に入ってたレコードのジャケットに描いてたら、完璧に捕まった。
聞くに値しなかったブツが、突如としてかけがえのないモノの様な顔をしてNHKの集金係よろしく胸元ににじり寄ってきた。
絵を描くために製造された真っさらな紙に描くよりも不自由ではあるが、「失敗だろうが、他人が見て面白くなかろうが、責任なんかとれっかよ!!」というゴロツキ同然のチープな自由を手に入れて、Walk on wild sideもしくはWild Styleな犯り方で次々に描いていく。
描くというか、色を適当に置いたり雑誌の切り抜きを張り付けたり汚したりしてるだけなのだが。
自分を棚に上げて自分の美意識を振り切って、相手や時間に画面の生成の権利のほとんどを委ねていると、とても不思議な感覚になる。
つい最近まで、「こうなったら完成」という終わりのある作品ばかりつくってきたのだが、今やっている仕事は終わりを自分だけでは決められない感じがある。
平行してゴチャゴチャと手を出しつつ、それぞれの画面に対して「今日どーすんよ?」「これぶっかけてみたいんだけども…」とお伺いを立てる日々である。
アート作品というのは通常は「作品名」と「作者」とが別れているものだが、何となく「作者」なるものの傲慢というか、「作者によって作品は生み出される」という表には意識されないが明確な主従関係のヒエラルキーがある気がする。
その関係は絶対なんだろうか。
「作品名/作者+素材」くらいでちょうど良いんじゃないだろうか。


酔いが回ってきた。


いま自分が日本で最も怖い大人は誰かと聞かれたら、間違いなく即答できる。

立川談志、である。

自分は何年か前から落語に興味を持ち、新宿末広亭に行ったり、落語関連の本を読み漁ったり、落語のCDを聞いたりしているが、とどのつまりは、立川談志という人間のフィルターを通した「落語」に興味があるのだ、ということに最近気が付いた。
今年は1989年から20年、つまり昭和の最後から20年の年である。
1989年にも美空ひばりをはじめ、時代を築いてきたスター達が数多く故人となったが、今年亡くなった著名人の多さと大きさは、1989年と同じくらいインパクトがあり、やはり時代の変わり目ではあると思う。
あるビッグネームが死ぬと、その人物を育み、その人物が内に抱えていた時代そのものが失われる。
今年続いてきた大物の死亡は、おそらく20世紀の終焉を意味すると思う。
「大量生産」「大衆」「消費者」「単一的な思想で統一された国家」という価値観の曲がり角だろうと思う。

前置きのつもりが逸れてしまった。
三遊亭円楽が死んだときに真っ先に立川談志を思い出した。
笑点」という番組は、もともと立川談志が企画・立案をし、司会もやっていたという事実を知っている人はどれくらいいるだろうか。
落語を、立川談志を多少なりとも興味がある人ならばたいていは知っているだろうが。
その「笑点」の司会を長らく務めていた円楽は、かつて立川談志のライバルと称され、入門順では談志が先輩だが円楽の方が年上で、やがて談志を抜いて真打ちになった落語家である。
若い頃から比較対象にされていた、方やテレビという大衆を代表するメディアで闘ってきた円楽と、方や大衆を批判し続け、しまいには「イリュージョン」という概念を掲げ、自分の客や己すら攻撃対象にする談志。
円楽が亡くなった時に、ふと「談志師匠の毒付く相手がまたいなくなっちゃったなあ。考えたくないけどそろそろヤバいよなあ」と偉そうにも思ってしまった。
そんなことを思ったり思わなかったりしてたら談志の本が出た。


「談志 最後の落語論」


内容は、談志の信じている「落語」について。
「落語とは、人間の業の肯定である」というお決まりのフレーズを核に、落語の面白さ、奥深さを談志の敬愛した過去の名人・師匠連を縦軸に、最近の「噺家(談志に言わせると落語家ではない連中)」がいかに馬鹿かという話を横軸に、そして「自我」「非常識」について自分の中へと潜っていく。
内容的には、これまでに文章やCDで語ってきたものと大差はないのだが、震えたのはあとがきだった。
「落語家」の了見であらゆる行動や発言を、粋の風を吹かせるために律してきた立川談志が、本書で唯一綻びを見せたある一語が、最後の最後に置かれていた。
昼休みの喫茶店で読み終えた後、寝る振りをしてテーブルに突っ伏して泣いてしまった。


あー、酔いが冷めてきちゃった。
眠れないや。