先生、それではよろしくお願いします。

「おい、奴さん寝たぞ」

誰かのこの一言を合図に、各々が隠れていた場所からひょこりと現れてはわらわらと作業机に群がりだす。
ある時は優秀な特殊部隊。
ある時は何を仕出かすかわからない秘密結社。
またある時は、遊んでばかりで風任せ、本業よりも野球とスナック通いに精を出していそうな左官屋。

「まぁた無茶苦茶に仕事残して寝やがって」
「おい、ここなんか、ビシャビシャにインク垂れちまってんよ」
「早いとこおっぱじめねぇ。朝が来ちまわぁ」
「だな。チャチャッと終わらせようや」


そんな彼らの声を夢の中で聞いているのか聞いていないのか定かではないが、朝になって「奴さん」と呼ばれた男は目覚めると、作業机に置かれた「作品のようなもの」を一瞥する。
寝る前に見た画面とは表情を変えたそれを見てただ一言、「なるほど」と腹の中で呟く。
たまに腹の奥の普段使わない筋肉をヒクつかせ、鼻から抜ける笑いをする時もあるが、基本的には「なるほど」の一言のみである。
積極的な肯定も否定も意味しないその一言を呟いた後、余裕がある時は手近にあるインクを手に取り、またその画面へインクを無造作にかけたり塗ったりをして、「じゃ、よろしく」と言わんばかりにいつも通り出勤していく。


ここ最近は常にこのような感覚を抱きながらの制作。
限られた時間内に何かを作ろうとする時、普通はいかに作者と作品とが関わる時間を長くするか、いかに無駄なく制御された完璧な技術を駆使するかが、作品の規模や量などの質を決定しがちだ。
けれど、その考え方にはアートとは関係もない普通の人間でも、日常の中で聞かされるとたいていは「す、すいません…」と言いたくなるような、例の印籠めいた言葉がうすらぼんやりと自分にはチラつく。
「効率化」もしくは「合理化」という言葉。
少なくともこの言葉に自分はかなりひるむ。
それはあらかじめ決められたゴールへいかに正確に速く、しかも楽に到達できるかという点で、昨今疑問視されているあのナントカ本主義とかナントカーバリズムを思い出してしまう。
あれらは要は「時間」のもたらす不確定性を限りなく「ゼロ」にすることを良しとするらしい。
やったらやった分だけ「すぐに」成果を欲しがったり。
遅滞なく「思い通り」に事を運ばせたがったり。
時間がもたらす予想不可能な「事故」や「奇跡」を排除したがったり、仮にそういうことが起きても全てを「分析」できると思ったり。


見る側の気持ちはわからないけれど、少なくともやってる当人の自分にはあんまりオモシロクナイ。
なんでもかんでもコントロールできるなどと夢にも思わず、時間の住人の出る幕を用意して好きに遊ばせている方が、自分に関しては興奮度が高い。
誰かに依頼されたり、展示会を控えていたり、次の作品を作るための稼ぎを手に入れるためだったり、世界を変えてやろうという思想のためだったり、「つくる」という行為にまつわるあらゆる水準の動機があるんだろう。
それでも最近の僕は、画面上にだけ流れる時間との時間差のある、しかも全く割に合わない掛け合いこそが、最も自分のテンションを上げる。
そこから始めないことには、社会的に必要なあれこれをどうにもこなせる気がしない。


それでは先生方、お戯れの時間です。