都営が滲む

近頃よく都営地下鉄に乗る。
都営新宿線浅草線という二つの路線を主に利用するのだが、
駅構内の天井の低さや剥き出しになった無数の管、
壁から染み出た地下水と、それを逃がすための通路脇の側構などに感興を催すことがしばしばある。
特に地下水が漏れ出ている箇所などは、人工の地下施設内の一部が鍾乳洞化していくような趣きすらある。
クリーンアップされ「営団」という名前が「メトロ」となった地下鉄網とはまるで違う秩序のようなものが、
現在の都営地下鉄には滲み出ている気がする。
なんと言えば良いか。
下町の家並みに見受けられる暴力的なまでの植木鉢ジャングルのような、
所有者の意図を越え時間をかけて前景化しだした見えざる者の意志とでも言うのか。
はたまた、意図せずに練り固まったホームレスのドレッドヘアの様に、
「素(酢)の人生」と「甘ったれた作為」の間の埋めようもない距離を、
オーラなのかオイニーなのかわからないが、
それによって認識せざるを得ない聖者からの啓示、そして慶事なのか。
このように、都営地下鉄内のいたるところで過剰な無頓着と無意識が生み出す、
送受信能力の狂った「壊れかけのレイディオ感」どころか「跡形もない爆心地レイディオ感」伴う光景を目にする度に、
宇宙の彼方や地底の奥底、日常の極北に通じる秘密の会員制クラブ、
「都営地下倶楽部 虹美(にじみ)」の入り口がぽっかりと口を開けているのを感じる。
そして、その入り口には「非情口」と書かれたプレートが取り付けられており、
通りの良い論理やコンセプトを突っぱねている。